220.令和だし令和してみた(21)
零和21
1.一切の法律はケーススタディー以外の何物でもないと明記、「演繹的法体系」から「帰納的法体系」へドラスティックにチェンジしましょう。
2.それを達成するまで、アジア諸国への日本の法律の押し売りは一旦停止しましょう。
3.法学者は一旦全員解雇しましょう。
4.最高裁の定員を10倍にし、裁判速度を100倍にしましょう。最高裁に「分析」を作らせましょう。
5.不可変更力を削除しましょう。
はい。
本当に法学部に行かなくて良かった。
法律の勉強(笑)をしていてしみじみと実感している。
最初から行く気0だったが。(笑)
(注:過去には理系文系システムがまだ存在していた。昔の鬼いさんは「まあ自分がクッソ頭がいいのは知っているがまあ東大行く人達みたいに勉強していないのでまあ理系だしまあ地方大の医学部でいいか」という最低な??選択により、その後の莫大な悲喜劇が生まれることになる。このような選択方法は自分を徹底的に痛めつけるので、善神に最も愛されている確信がなかったらやっちゃ駄目であり、何度も言うように何の参考にもならない。)
私は天才な宇宙的理由で善神に目をかけられているので、元々資料の使いまわしやノートの再読などはあんまりしなかった(どうでもいい事を覚える必要がある時はノートの再読をやったが、あれで相当脳が破壊されたと確信している)。
私の個人的な特技は、逆算である。
因数分解とかのそれ。
元の形を想像する事がまあまあ特技と言っていいだろう(別にこれで1番とかではない。そもそも私は不自然な機械的特訓が大嫌いだし苦手である)。後は全部、善神アフラ(天・神)マズダ(大)=天照大神(そのまま)に教えて頂いているだけである。
そもそもそんなにスピードが速いというわけではない。
井山裕太先生の言う如く、中国人が大挙して押し寄せて来たら凡庸なレベルである。
法律の勉強をしていて漸く分かってきたが、「どうやらこれはケーススタディー以外の何物でもない」という事である。
つまるところ一切がケースバイケースである。
だったら最初からそう明記しろ。
そうしたら医学と寸分たがわない。
例えば冠動脈攣縮性狭心症とconventionalな狭心症は全く病態が異なり、治療は正反対である。「全く」「正反対」というのは、その道の人間が言う事で、普通の人間が見たら狭心症、しんぞうのびょうきにしか見えないし、また、昔の人間は同一疾患として治療していた。
また、前にも書いたが、会社法をずっと1年程見ていて漸く分かった事は、これは何か元の図表をそのまま書き写しているだけだという事。
だったらもう元の図表=法律でいいよ。元の図表は覚えられ、また圧倒的にクリアカットであり、ケーススタディーの理念と一致している。
そして、日本語は非論理的、というか、クリアカットでなく、英語で漸く?可能な、論理操作が不可能である。
従って、一切の解釈、即ち拡大縮小反対などの解釈は全く無意味であり、イコール後付け解釈以外の何物でもない。
鬼いさんは、何故これが今迄放置されて来たのか、全く理解できない。いや、理解できるけど。つまり、「現状に満足してきたから」以外に理由が無い。
それでいいから、つまり非論理言語でいいから、もう最初からケーススタディーだと割り切って、ケーススタディーを集めればいい。それだけである。医学だって間違い捲っている。
全世界で使用しているイギリスの海事法は最高であるが、それは最初からケースに必要な事が割り切って書いてあるからである。
2.それを達成するまで、アジア諸国への日本の法律の押し売りは一旦停止しましょう。
2.日本の法律をアジアに売り込んでいるが、まず、日本の法律はそんなに素晴らしいのか?特に現行の会社法体系や憲法体系が〃??と言えば、絶対にNOである。だから2.。
3.法学者は一旦全員解雇しましょう。
3.無駄だから。現状に満足しスギィ!以上。
対世効(笑)や規制権、演繹的法体系と帰納的法体系、日本語の非論理性、日本の法律が英訳不可能なこと、日本の法律がコンピューター言語に全く落とし込めない事、これらを一切無視し、50年前100年前130年前と同じ事を繰り返している。
馬鹿か。
本当に法学部に行かなくて良かった。こいつらの模倣をさせられるところだったというか、こいつら頭のイカレた連中と付き合わざるを得なかった所だった。
4.最高裁の定員を10倍にし、裁判速度を100倍にしましょう。最高裁に「分析」を作らせましょう。
4.一つの判断が出るまで30年以上かかるというのは、人を馬鹿にするにも程があり、そんなんだったら誰も裁判なんかに頼らず自力解決するに決まっているし、そういった実際的執行力のある反社会勢力、創価やヤクザ、成り済まし背乗りや中凶の統一戦線が力を付けるに決まっている。
ということで店員を10-100倍に増やし、兎に角即決即判する。特に何も問題はない。間違っていたら訂正すればいいだけ。例えば、「不可変更力(笑)」のへ理屈には笑う外ないが、これだって後から訂正すればいい。
そのために最高裁で自判の分析を出すようにすればいい。これはもう「分析」「最高裁分析」という名前で過去現在未来のケースを分析すればいい。これは普遍的な事であるが、蓋し(だいたい)自己分析は賢者の所業である。自己分析し捲れば、社会も勝手にその通りに「解釈」し動くだろう。
(いわゆる就職活動における「自己分析」というのも、過去に誰か賢人がやっていたのを、そのまま商業的に無茶苦茶に拡大解釈(笑)した物であろうが、今は書かない。)
未来というのは、この後起こり得るであろうケースに関しても「分析」しておけば、後から問題が起こってもスピーディーに解決できるし、問題自体も回避されるので1石2兆である。え、そんなことして問題にならないか?それを判断するのが裁判所だろう。(笑)
勿論、「分析」は行政指導(笑)であり、公定力(笑)や処分性(笑)はない(笑)(何を言っているのか自分でも全く分からない(笑)(笑)(笑))。勧告未満の裁判所の告知に相当する。医療のガイドラインと同じである。(爆笑)ただ、こちらは医療ガイドラインと違い全くの無駄にならないどころか、私が言うんだから確実に社会全体の慶尚となる。
勉強したら変な判例が大量に出て来る。
そういったのも後で法務省に司法試験で延々とネチネチネチネチ言われ続けるより、もうハナッから「分析」で、
「この判決には反対意見も多々あったが、これ自体は相当なレアケースであり、今後似たようなケースでも異なった判断が下される可能性は幾らでもある。以下に他の想定されるケースの分析を行う。」
と言ってしまえばいいだけ。
今までは、背景が「一つの条文・判例が絶対的な対世効(笑)を持つ、普遍的・演繹的法律体系」だったからこれが言えなかった。
これからは「ケーススタディーの集積以外の何物でもない、帰納的・実際的法律体系」である。今までも実際上こうやってきている。
だからこれがハッキリと言える。はっきりと言い切ってしまって良い。
後は、「分析」を続けていれば、幾ら最高裁でも(笑)日本語が多少マシになるだろう。
そうしたら最早3.である。解釈学者はもう何の必要もない。全部科学技術の発展に回すべきである。
マンパワーがあれば地方裁判所・高等裁判所の変な判例の即時撤回も可能。
そして当然、人数を増やしたら怪しい輩も必ず混じって来るので、それは最高裁の内部規範や、行政、立法などで対処可能にしましょう。つまり国民審査以外では辞めさせられないという今の特権的スタイルは終了。
また、「分析」を只管繰り返していたら、どいつが怪しい奴かは直ぐに明白になる筈である。
そして、分析を繰り返していたら、今まで金科玉条としてきた「お言葉」、最高裁の判旨=よく分からない日本語の一群の塊が、ぶっちゃけどうでもよくなる。
このように分析にはいい事ばかりである。
5.不可変更力を削除しましょう。
5.人間は神ではないので、「不可変更力」とかいう不可抗力(Act of God)の亜型みたいなのを作るのは止めましょう。というか不可変更力自体を即時廃止するか、「分析」で排除しましょう。
どうもこの素寒貧列島にわざわざ来る人間には「自分がこの島の神になる」とかのたまい出すレベルの極度のバカがどうもセレクトされて送り込まれている気がするが、世界ではそれは絶対的絶対禁忌事項であり、この先生きのこれない愚行であり、確実に破滅できるので止めましょう。
作った奴がマジで何を考えていたのか知りたい。
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上記を実行すると、法務省の権力が上がるだろう。
何故これをやらなかったのか、意味不明な日本法を再考する事を何故、
任務懈怠(にんむけたい、意味不明(英訳不可能))してきたかというと、現状に満足してきたからである。
対世効(たいせいこう、意味不明(英訳不可能))とは何かを深く考える事もせず、
(そもそも、「既判力に対世効があるので、結論を出すのに30年かけてます」というのは、完全に意味不明、本末転倒、無茶苦茶、支離滅裂である)
絶対的な
規制権(きせいけん、意味不明(英訳不可能),それ以前に議論すらされていない)の由来や理由などを考慮・追及する事もせず、
連帯債権(れんたいさいけん、意味不明(英訳不可能))などの意味不明などうでもいい事ででさらに紙を汚してお茶を濁している。
参考
bertrandsushibarrussell.hatenablog.com