人物評

  • 有馬藤太 「或時西郷先生に『今の時に於て、二十万の兵を授けて海外に派遣し、能く国威を発揚し得る者は誰ですか』と尋ねた所、先生は即座に『それは板垣じゃ』と答えられた」[21]
  • 尾崎咢堂 「猛烈な感情と透徹せる理性と、ほとんど両立し難い二つの性質を同時に持っていた」[22]
  • 中江兆民
    • 「私情に絡まるのは政治や公党の公では良く無いに違いないが、私交上ではむしろ美徳である。板垣は政治家としてよりも、むしろ個人としての美しい徳を持っていた近世の偉人である」
    • 「板垣は日本の民主主義発展に大きな功績を残した。彼は無欲恬淡、金銭欲も淡白でしたたかさが無かった」
  • 小説家の海音寺潮五郎司馬遼太郎は「板垣は政治家より軍人に向いていて、ただ板垣の功績経歴から軍人にすると西郷隆盛の次で山縣有朋の上ぐらいには置かないといけないが、土佐藩にそこまでの勢力がなかったので政治家にされた」と述べている[23]
  • 自由民権運動の思想はその基礎を王政復古に求めるものであり、天賦人権論を基盤としたものである[24]
  • 「板垣死すとも自由は死せず」の言葉が広く知られているように、板垣は自由民権運動の英雄である。その一方で、藩閥政府による懐柔や、隈板内閣内の論争などといった板垣の政治的な行動は、民衆の議論を賑わせた。内務大臣への就任については多くの風刺画が描かれ(内務大臣は警察を管轄し、言論統制選挙干渉などを行ったことで評判の悪いポストであった)、宮武外骨の『滑稽新聞』は、自由は死んだのに板垣は生きていると揶揄した。風刺画研究者の清水勲によれば、板垣は伊藤博文・大隈重信とならんで風刺画に描かれることの多い明治の政治家の「ベスト・スリー」であるという[25]